なぜ、東大卒がピアノの道に?

めちゃくちゃよく聞かれます。

これ、話せば長くなるんですが、一言でいえば

「ピアノが、一番自分の中で伸びしろのある分野だと思ったから。」
「プロ意識をもって一生涯、胸を張ってできる仕事はこれしかないと思ったから。」

というのが正直なところ。

最近「ベテランち」や「QuizKnock」、「東大王」で一躍有名になった灘高校を卒業後、東京大学で学び、卒業後、ふつーの会社員生活を送っていました25歳男です

ピアノ歴は20年以上、かつては熱心なピアノ少年でした。小学生から、片道1時間かけて大阪までレッスンに通っていたのですが、それは「親の言いつけ」ではなく、自分の意思で通わせてもらっていました。先生は大学教授でしたがレッスンは気さくで、弾きたい曲は何でも自由に弾かせてくれて、のびのびと楽しんでいました。ご自身も現代曲の委嘱演奏や打楽器やダンスとのコラボなど、超個性的な活動をされている方で、オリジナリティを出すこと、またピアノを心から楽しむという姿勢を学びました。

小さなコンクールで何度か入賞もしました。が、自分の演奏に納得がいったことは一度もなかった。さらに上を見ればきりがなく、優秀なピアニストはごまんといる世界です。例えば、あの「かてぃん」こと角野隼斗さんは、東大時代の同級生でした。東大にもこんなすごい人がいるんだ、、と圧倒的な演奏力の差を感じましたね。

それで、ピアノを忘れよう!と思い必死に就活をしました。会社勤めを3年間してきましたが、何となく仕事はこなせるものの、会社員としての自分にずっと違和感がありました。特に、最初に入った会社で、ネクタイを締めて営業をしていた頃は仕事で疲れ切ってピアノを弾く余裕なんてありませんでした。名刺交換しながら、飲み会の幹事しながら「自分は何やってるんだろう・・・」みたいな気持ちにもなって、空虚だった。その後、音楽系の会社に入って、すばらしい音楽家の先生方やピアノ講師たちとかかわる機会が多々ありました。

そんな中で、師である黒木洋平先生に出会い、現代ピアノ奏法にて奏法の改善に取り組みはじめました。数回レッスンに通ったところで、これまでの自分ではありえないような見違えるような演奏ができるようになり、それまで抱えていたコンプレックスもすべて吹き飛びました。「自分が求めていたものはこれだ」と直感しました。そこで初めて

本荘
本荘

ピアノ、もしかしたら、伸びしろがあるかもしれない。もうちょっとやってみたい。サポーターではなくプレイヤー(演奏者、じゃなくて活動する人ね)になりたい!

こんな思いが噴出してきて。それまでは、自分の「演奏力」だけを指標にして自己評価していましたが、様々な仕事に取り組んできた中で、「自分という商品を最高値で売れる場所」はやっぱりピアノの周りにあるんじゃないか、と思ったのです。他と比べず、自分にしかできない活動をやってやろうと思い、桐朋学園の大学院を受験しました。

音大→東大という経歴は時々見ますが、東大→音大というのはなかなか珍しいでしょうね。でも、社会に出ていたからこそ、思いっきり学べることの有難さも分かります。

私ははっきりいって、小心者で体力もなくて、コンサートピアニストには向いていません。そして興味関心もどちらかというと、演奏ではなく(演奏も好きですが)、指導・教育の方面です。

音楽的なこと・感覚的なことを言語化してかみ砕いて伝える、相手に寄り添ってサポートし成長を促すことは得意だと思っています。いわゆる右脳的に捉えたものを左脳的にアウトプットするタイプかな。

学術的な観点から音楽を知り、語ることも好きですが、それ以上に感覚的なものを大事にしたい。

たとえば、奏法を通じて人体の神秘を解明し、ピアノの潜在能力をえぐり出すこと。音で非日常なマジカルを創出すること。演奏することで自然と合一し、神秘的体験をすること。それだけの境地に至れるポテンシャルをこの楽器は持っていると信じています。

もともと教育業界を志したこともあり、人が好きで、導きによって人が成長することが大好きです。ピアノを教える、音楽を教えるという行為にとても興味がありますし、一生研究⇔実践を続ける覚悟は決めています。

それに加えて、東大で学んだり、ずっと「音楽×教育」の分野でお仕事をしてきたことも、少しは役立つかもしれません。

こうした強みを生かしながら、いつの日か「音楽教育家」と名乗れる日が来るといいなあと思って日々勉強しています。

今は勉強中の身ですが、近いうちにみなさまに色々な告知やご案内を差し上げることもあるかと思います。その際は思い出していただけると嬉しいです。

応援のほどよろしくお願いします。

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